立春も過ぎ、いよいよ春がやってきます。
本当に気が付かないくらい徐々にですがそこかしこに春の息吹を
垣間見ることができるので目を凝らしてみましょう...王虎です。
「現代」水草レイアウトの限界という記事が投稿されましたね。
私のまわりではそれなりに反響があったので自分なりの思いを綴ってみようと思います。
って思う壺かな(笑)水槽設備を使って水草や魚やエビなどの水生生物を育てる場合
その人の好みによって重点が異なります。
魚が好きな人はまず魚ありきで物事を進めます。
メインの魚を補完するために水草や流木を買って植えたり置いてみたりするのです。
つまり水槽内の魚以外のものはすべて単なる飾りなのです。
時には産卵床などの役割を果たしたりもしますが翻って私の水槽はというと...
メインの120Hはアジア地域の水草を育てるために立ち上げました。
なので水草が映えるようにアジアの魚を泳がしてます。
アジアは広くて多様なのでやりやすい(笑)要するに、冒頭でも述べましたがその人の嗜好や情緒といったものによって
表現(結果)はさまざまなものになりうるのです。
特に近年のレイアウトを主体とした水槽に対する違和感は
そういうところから発現しているのではないでしょうか?
そこんとこもちっと詳しく。。。
日本人には様々なものの中に神様の存在を認識できる不思議な感受性があります。
この感受性を伴って作品を見る時に
「
ないものをあるように見ることができる」のです。
数年前に騒然となった滝の造形...
彼らは具体的な造形を配置することによって
直接的に視覚に訴えるなどの演出をして初めて感性に訴えることが
できるのだと信じているのです。
そういった具体的な表現がなくても石や水草の配置を見れば
そこに流れ落ちる滝を感じとってしまうのが日本人の感性なのです。
これが違和感の発生源ではないかと考えています。
日本人の良くも悪くもある習性として
何事も平等に..したがります。
批判されたくないと言う概念がそうさせるのでしょうが...なのでレイアウトコンテストの審査員も世界各地から選出したがります。
実際にそうなってますが(笑)
はたしてそれでいいのでしょうか?
それって平等?
日本で行われる世界水草レイアウトコンテストなんだから日本人が審査すればいいじゃん!
と思ってしまうのですが。。。
きっとドイツで同様のコンテストが行われれば
審査員は大半がドイツ人でEU圏の人が数名といった具合になるんじゃないでしょうか?
別にドイツをdisってるわけじゃないです(笑)コンテストって内容がなんであれ主催者の価値観が評価の分かれ目だと思うんです。
なので主催者は価値観に合致した、価値観を共有した審査員を選定するのは至極当然のことです。
ADA社の主催するIAPLCは創設者であり表現者でもある天野尚氏の持つ価値観に基づいて
開催されているものだと、そうあるべきものだと解釈してしまった多くの日本人と
方向性がそうではなかった(つまりは販売促進のためだけのアドバルーンイベント)実情。。。
侘びも寂びも禅も。。。なにも感じることのできない世界観を垣間見て
これは違う。。。と。。。。
つまりコンテスト運営方針との方向性の違いということなのでしょう。
個人的には日本人の感性に即した表現を
世界の人々がどこまで享受し解釈できるのか忖度できるようなものであって欲しかったと思っています。
そういった部分で世界中の人々が切磋琢磨していけば
また違った終着駅があったのではないかと考えています。